なんだが、今の20代はやっぱり心理と社会の時代に育ってきたんだなーと常々思う。
だから証券会社の人なんかが血迷ってマーケ面白そうとか思ってジョブチェンジしちゃうわけだし。
自分もマーケがしっくりきちゃうしね。
その前が経済の時代だとして、だから会社に入ったらオッサンたちの論理で日経読め、経済勉強しろになっちゃうんだよね。
ビジネス上必要なのはわかるけどさ。
MBAが思想的に何の価値も無いことはさっさと認めたほうが良い。(あ、誰も思想的に価値があるなんていってないよな)
じゃぁ平成キッズたちは何の時代に育ってんだろ?
情報とアバンダンスの世界なのかな?
そうやって共通の世界観が変わるときに社会は、人間はどう変わるんだろう?
見田センセイが『現代社会の理論』の終章であたらしい資本主義(この名前は正しくないかもしれないが)を提示している。
現代の資本主義のシステムの中で、価値の源泉を工業、資源的価値から、
精神、意味的価値に転回することによって、現在の資本主義システムを規定している限界
(資源的限界、環境的限界、また北の貧困/南の貧困という問題、特に北の貧困という言葉で表される、
先進国に特有な相対的価値による生活水準の規定と、それに支えられた経済成長へのオブセッションという問題)
を超えることができるのではないかという見通しを述べている。
この北の貧困問題には、アナロジーとして全く適切ではないかもしれないが、
僕の中では、資本主義を押しすすめる嚆矢となった産業革命を支えた科学啓蒙思想が
経済成長主義にも大きな影響を与えているように感じられる。
野家啓一センセイが『科学の解釈学』の中で書いているように、
近代科学主義(ガリレオから始まり、クーンのパラダイム論、フッサールの生活世界論によって超越されようとされている科学に対する態度)が広まっていった原因はやはり
物質的恩恵を人間が科学によって得られた、それによって、欲望を刺激するstimulusが科学的「進歩」に伴って
コンスタントに作られるようになったことが大きいのではないかと思う。
科学の進歩は科学主義の中では「技術化可能性」、「精密化」、「被覆領域の拡大(応用範囲の拡大)」が、
「進歩」(よりベターな科学、世界になってるか)しているかどうかを決める価値基準として機能してきた。
こういった進歩のアナロジーが経済成長主義に影響を与えてきた(直接的に学問思想にという意味ではなくて、
社会への影響を通して)と考えられないことも無い。(ひょっとしたらすごく的外れかもしれないけど)
そう考えると、見田先生がいう北の貧困を解決するためには、やはり茂木先生あたりが
人間に立脚したクオリア主義とかでバーンと科学革命をしてくれるのが、
経済の根本解決の理論的な基盤として必要なんじゃないかー???とか思ってしまう。
なぜなら、ブランド価値(ってのも手前味噌でやだけど)等を含む、(見田先生の著書ではココア・パフであらわされる)
精神的、意味的価値の貨幣への変換を理論付けるには、やはりクオリアというか、
心脳問題というか、人間の意味の生成、価値の生成問題が解かれないことには、
その理論的基礎付けができていない気がするからだ。
(これは僕が学部からもやもや思ってたこと、やっと言語化できたぜ)
(ヴェブレンの文化的資本や、バタイユの根源価値といったものに、人文科学的な視点からの解答というか、
ヒントがあると思うので、ソコはまたちゃんと勉強しなきゃいけないんだけど。
今までは上の4行が言語化できてなかったせいでモチベーションが上がらなかった。。。見田先生に感謝)
(あと、価値が社会というか人間のインタラクションと共通了解から生まれるみたいな社会構成主義的な考え方も
あるんだろうけど、そこと、意味/精神的な価値というところの関係が、(宗教、カルトの研究なんかで知見が蓄積されてるのかもしれないけどつくづく不勉強、つんくの錬金術は多分その宗教的価値とビジネスの融合にある)
はっきりしないと使えない。)
ではもし、そういった科学革命を待つ間の準備期間に自分が生きているとしたら、
(茂木先生は東大講義で、今必要なのはダーウィン的統合と言っているから、
そのレベルのパラダイムシフトが起こってからも世の中に完全に浸透していくには相当の時間がかかると考えられる)
僕はその精神/意味的価値の貨幣への転換という仕事に、
自分の仕事からどのような貢献をしていったらよいのだろうか。
少なくとも、反応選択性に基づくオールドな脳科学を取り入れてマーケティングの進化と言っていては
全然だめだと思う。
この辺は電通の佐々木さんにいつか会って話をしなきゃいけないし、小林保彦先生なんかは既にある
ビジョン(生態学的なビジョンと本人が言っているモノ)をもっているっぽいから、
そういった人間と科学の融合ビジョンに基づくマーケティングの提案をしていかないといけないと思う。
ただ、世間というか、会社でバジェット管理ということを考えると、そういったロマンティックな議論は
好まれないということはMBAの授業に出てみて痛感した。
アレが至上だと思っては決していけない。アレはビジネスという論理にだけ適応できる極めて原始的な
サバイブのための道具なんだ。そう常に心に留めておかないと、素朴科学による実証主義はかなりアトラクティブだから
油断してるとからめとられる可能性も高い。
最終的に、ブランド価値とバジェット管理、ストックマーケットとの連動性がもうちょっと明らかになって、
ブランドの精神/意味的価値の貨幣への転換の部分が、なんとかつながるように会計との連携をとった
公式(コレが本当にできるようになるのは科学革命後なんだが…)というか、算定の方法を広めていく他ない。
しかし、やっぱり寄って立つ論理的根拠に欠ける。むぅ。
茂木先生も東大の講義で話していたように、
googleや、アドバンスド・チェスみたいな古いスタイルのAIと人間の新しい共存関係が、アメリカ的なabondanceを基にする
文脈で出てきてる事を考えると、こういった新しい資本主義みたいな議論自体が5年前、10年前位にはまだアクチュアリティがあったのかもしれないけど、
今ではかなりナイーブな議論になってしまっている可能性はある。
その辺は学者というコミュニティにいるより、会社コミュニティにいた方が変化は肌で感じやすいと思うから、
(場合によっては変化に圧倒されて本質を見失う可能性も十分あるから、常に第三者の人の情報に目をむけ、
離れたところから見ていくことが重要だけど)
今後すぐにまた新しい道が見つかるかもしれない。
グーグル化していく中で、鈴木健先生のマルコフ貨幣みたいな、経済に対する新しいアプローチ(内実全然知らんから勉強せなあかん)も出されていくから、
その辺もチェックしつつ、自分の方向性を修正しながら、あたらしい資本主義にブランドの精神/意味的価値の貨幣化作用という面から社会にコミットしていけたら、いい仕事だなと思う。
あとは、自分の能力的に今のところ結構制約が多いと思っていて、まず勉強量が少ないのが一番の問題なんだけど、
論理的というか数的解析能力が極端に低いことがカナリconstraintになっています。
茂木先生の言うとおりディラック方程式が解けないヤツがそういう議論をする土俵に登る資格が無いのかもしれないんだけど。
でもいーんだ。楽しいから…。しかしあぁ、悲しいなぁと思う。数的解析能力と論証能力が高かったらもうちょっと面白い議論に加われるのに…。←じゃあ努力しろよ。
とにかく、勉強。
あとは仕事で忙殺されても、こういうものの考え方を失わないように。
忘れないように。
勉強は終わらない。むしろすればするほど、効果は高く、開放的になっていく。
基本的には、この楽観的な考え方をベースにしていきたい。
全てを見たいという欲求はうすうすこの開放系の楽しみを知っていたから出たものだと、考えたい。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/01/post_8796.html